2010年1月25日月曜日

あれこれ、、、

2週間前までの寒さが嘘のように暖かくなり、庭の雪もすっかり融けてなくなりました、、、、、と書こうと思ったら今夜からまた雪です。さらに今週はどんどん気温も落ち続け、金曜日の予報は最高−10℃。春は遠い。でもセメスターは「スプリングセメスター」。うそつけ。

暖かくなりかけていた週末、日本人の集まりでは早速「ゴルフ行けるんちゃう?」みたいな事で盛り上がっていました。実際行ってる人、行こうとしている人もちらほら。まだ10℃にもまってませんよ、気長に春を待ちましょう。

集まりは来月日本に帰国される方の送別会。ここシャンペーンは大学の街なので、一年、二年、長くても数年という単位で人が入れ替わっていきます。僕ら夫婦はだいぶんと「シャンペーンのベテラン」になってきました。

大勢の人に囲まれても脩登は相変わらずおとなしいもんです。でも、どうやらちょっと緊張しているのか人前では表情が固まってます。うちとよその違いが分かってきたのでしょうか。

クラスが始まって2週目。今週からTAも始まりました。受け持つのは2年生の「基礎有機化学実験」。月曜と火曜のセクションを合わせて40人ちょっと。さて、どうなりますことやら。

2010年1月20日水曜日

勉強に気合いが必要な理由

隣のグループにいた院生を最近見ないなぁと思ってたら、どうやら放り出されたようです。

僕のラボメイトからの情報によると、先のセメスターの成績が悪かったので担当教授がサポートを打ち切り、グループにも君はいらないと、、、、、。そうなると「じゃぁ他のグループで」ってゆうてもどの教授も受け入れてくれないでしょうし、サポートが無い事には授業料なんて払える額じゃないやろしどうするんでしょ。同じ院生の立場として、自分にも起こりえる話なので笑い話としては聞けません。Graduate Student Handbookというものをよく読み返してみると、

「化学科の大学院生はすべて何らかの形での金銭的なサポートが保証されている」と。

さらには、

「授業料、学生保険、公共施設利用量等の費用も全て免除される」と。

ただし、

「学生はある一定以上の成績を保つ事を期待されており、これを出来ない学生に置いては上記のサポートを補償しない」とのこと。

一定以上の成績とはB以上。各セメスターのGPAが3以上ないとサポート打ち切りの理由になるとあります。ちゃんと勉強すれば大丈夫とはいえ、それでもクラスで誰かはCになる事を考えると「ぼちぼち」なんて言うてられません。

金銭的なサポートがしっかりしているのがこちらの大学院ですが、「その分よぅ働いてよぅ勉強せぇ!!」ということです。当たり前の事を手を抜いてやるような人はいりません、ってことなんです。授業料と給料を出してもらっている事を考えると、むしろポスドクを一人雇うよりお金がかかってるんですよね。そらシビアになるわ。

という訳で,このセメスターもしっかり頑張ります。今回の鬼門はEnzyme Reaction Mechanism。バイオケム系なのでようわからん。

オレゴンからの友

昨日はオレゴンからの友人を迎えました。

のりの前の職場でPh.Dの学生をしていた彼が、学位を取得してシャンペーンを出て行ったのが2007年の秋。それから2年ちょっと。彼も結婚して家を買い、こちらも赤ちゃんが誕生とお互いにいろんな変化がありました。

お互いの様子はFlickrで何となく知っていたものの電話などはしていませんでした。しかし2年ぶりでも以前の通りの楽しくて学ぶところの多いおしゃべり、細かい気遣い、とても楽しい夜でした。

遠方からの古い友達が多い週です。

写真はベジタリアンな彼の為に用意したささやかな食事。




脩登は?いつも通りにいい子でしたよ。ちょっと夜更かしやったかな。

2010年1月18日月曜日

脩登が笑ってるのは、僕が○○してるから。

今日の脩登の反応は親にとってはとびきりでした。今までで一番の笑い声。



僕は意識的に笑わそうとしていた訳じゃなく、ただ脩登の目の前で一枚服を脱いだだけ。こんな反応が来るとは思わず、もう一回やってやろうと服を着直すと、またもきゃっきゃっ笑います。何遍やっても笑うんです。こんなに喜ぶのは今まで無かったのでちゃんとビデオに収めときました。ただ、カメラが向けられている事に気づくと「、、、、、、、、」と素に戻ってしまいましたが。

カメラをおさめて何度かやってみましたが、反応が戻ってきません。これはもしやと確かめると、おしめがぐっしょり。「うれしょん」してました。

赤ん坊の反応は思いもかけないものなんですねぇ。

Reunion

今週末、一人の友人がシャンペーンに帰ってきました。

2005年にシャンペーンに到着し、まず僕はイリノイ大学の英語プログラムに入りました。このプログラムは主に交換留学生のためのもので、基本的には学部生、しかも終了後はみんな母国に帰ってしまいます。ところが珍しい事に、僕のクラスにはこちらの大学院を目指して やってきた、ちょっと年寄りが多くいました。以前にも紹介したマリア、ファビオ、そしてシグリ(彼女は若いですが)。みんな今でもこちらで暮らしています。

今回シャンペーンにやってきたのはフランク。彼は台湾の大学を卒業した後コンピューターメーカーに就職してましたが、一念発起してアメリカにやってきました。シャンペーンで2学期過ごした後ニューヨークで大学院に進み現在はカリフォルニアで働いています。僕の中の台湾人像は主に彼のキャラクターで出来上がっていると言っても過言じゃありません。とてもいいやつで、怒らない、断らない、押し付けない、そんな性格なので決して憎まれない。当時のクラスメート以外にもたくさん友達を作ってたんじゃぁ無いでしょうか。

そのフランクが台湾に帰ってしまいます。誰も知らなかったのですが当時から付き合っていた彼女と一年前に結婚し、その彼女が台湾で働いている、らしいのです。僕たちも週末婚はやってましたが、さすがに海の向こうとこっちじゃ「週末」どころか1年1回ですもんね。で、帰る前にみんながいてるシャンペーンにと、今回訪れてきてくれました。当時の僕たちの担任、クリスティーナも参加して近況を報告し合ったり、当時のクラスメートのおもろい話で盛り上がったりとても楽しい時間を過ごせました。

シャンペーンを離れたり、アメリカを離れたり5年も経てばいろいろ変化もあって当然ですよね。今回集まったメンバー、知り合った当時は結婚してたのは僕とマリアだけ、それが今じゃぁ結婚してないのがファビオだけ。うちには子供まで出来てて。

それでも違う国、違う歳、違う分野の人間とこうして友人でいられ続けるのはとてもうれしい事です。これは多分にフランクのおかげですが。というもの最近彼との連絡が疎遠になってしまってて申し訳ないなぁと思っていましたが、こうして会うとまた以前と変わらず接してくれるフランクに感謝,感謝。

2010年1月17日日曜日

お食い初め

10月12日生まれの脩登は今度の水曜日で100日を迎えます。折よく友人が今週末シャンペーンに来るという事だったので、お食い初めをする事にしました。


お膳は日本から送ってもらい赤飯やお吸い物は用意できたものの、「尾頭付きの魚」なんぞ手に入るはずも無く、ちゃんとした「おくいぞめ」ではありませんでした。それでもいつもよりちょっといい服を着させて、集まってくれた友人達に「おめでとう」「かわいいねぇ」を連発してもらって楽しいものになりました。

 
 こちらは大人用のご飯

昼から始めた会は夕方まで続いたのでした。

この日の脩登、大勢のお客さんにも関わらずいつも通りにおとなしくしてます。人を怖がらないのか、逆に怖がっておとなしいのか、まだ分かってないだけなのか。まぁ、まだ分別はついてませんよね。

夕方からずっと付いていたテレビにいつからか釘付けになり、しまいにはこんな体勢になってまで見てました。



2010年1月11日月曜日

調子にのせたのは親

ものをつかみ始めた脩登、進歩には痛みも伴うようです。

うれしくなった親はしきりに彼にものを持たせようとするものです。昨日もガラガラを手に持たせて「あらー、なおとくんすごいねぇ!!」なんて喜んでました。そんな両親の様子にテンションがあがった脩登、手にガラガラを持ったままいつものように手足をばたばたさせて喜んだところ、ガラガラが彼の眉間を直撃。

『うぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーー!』
ギャン泣きを始めました。

ほのぼのしたひとときが一瞬で阿鼻叫喚の空間と化した、そんな日曜の一こまでした。

今学期の時間割

今学期、ティーチングアシスタントがあります。

こちらの大学ではどのクラスにも大体アシスタントがいて、主に大学院生がやっています。生徒の質問を受け付けたり、テストの採点をしたり、補習なんかをしたり、教授が出張中には替わって講義したりします。割と時間とエネルギーが必要ですが、僕たち大学院生はこういったクラスのお手伝いか、教授の研究のお手伝いの仕事によって生活していけるくらいの給料をもらっているので、システムとしてはありがたいものです。

今学期の僕の担当はラボのクラス。多種あるアシスタントの中でもわりかし楽な方です、一日4時間拘束される事以外は。2年生くらいが対象の授業で、実験室でほんとに基本的な実験をし、レポートを書くというもの。僕たちにはほとんど準備も必要ないらしく、実験室にいて反応を暴走させたりだけしないように見ておくだけでいい、とはラボメイトの弁。それが本当だと助かります。何しろ英語で授業をするなんてかなりひるみますから。

という訳で今学期は月曜から土曜は毎日朝に授業、月曜日と火曜日は午後はアシスタントというスケジュール。自分の実験の時間を確保するのに苦労しそうです。

2010年1月9日土曜日

4日で変わる脩登

4日間家を留守にして帰ってみると、相方が疲れ果ててしまっていました。

脩登の昼間の様子が変わり始めた事、集中しなければならない仕事を抱えている事、気分転換のために外に出たくともあまりもの寒さに家に閉じ込められている事、いろいろあって大変だったようです。木曜日にもしダラスで飛行機を変更していなかったら、そんな状態でもう一日相方を一人にしてしまっているところでした。

今までの脩登なら、昼間も寝てるか起きていても一人で遊んでいる事が多かったので、在宅で勤務中の相方もまぁまぁ仕事はできていました。が、今週に入って寝なくなったりぐずったりするようになり、授乳をしようとしてもいよいよ泣き叫ぶようになってしまいました。記録を見てみても昼間は五分と飲まない事が多く、回数も以前よりずいぶん減ってしまっています。夜は今まで通りによく飲んでよく寝ていてくれたようですが、心配な事です。

飲む量が減ったせいなのか、機嫌も今までのようによろしくありません。笑顔を見せても「はじけるような」ものではないですし、ときおり火がついたように泣く事もあります。今まで「ほんまに楽な子やなぁ」で来てたのでなおさら新米親には答えます。

そこで哺乳瓶で予め絞っておいた母乳をやってみるとよく飲むじゃありませんか。どういった事でしょう。相方の母乳の出がいいので(本人は出過ぎでいややと不満を言っていますが)今までほとんど哺乳瓶は使ってきませんでしたし、脩登もあまり好きな様子ではありませんでした。それが今回はむしろ好んでいます。脩登の中で何が変わったのかは伺い知れませんが、とにかくちゃんと飲むようになってくれたので一安心です。

今日は夕方に友人夫婦が遊びにきてくれ一緒にご飯を食べ、おしゃべりしてゲームなんかをして遊んでいたのですが、脩登もテーブルの上に置いてもらったバウンサーで終始ご機嫌にしてくれていました。お正月にも「この子は人がいっぱいいるのがすきみたいね。」と言われましたが、機嫌が悪くなったらパーティーを開くのが有効だったりして。

さらにさらに僕たちを喜ばせる面白い事が。哺乳瓶で授乳中、僕の小指をしきりに握るのです。しかも何度も握り返して「握ってんねん」って事を確認している様子。

そこで、2、3週間前には興味を示さなかったおもちゃを持たせてみると,,,


さらには自分からおもちゃをつかみにいく事も出来るようになってました。

http://www.flickr.com/photos/norynori/4260725293/

 
知らない間にいろんな事が出来るようになってるのを目の当たりにし、ちょっとしたストレスも吹き飛ぶ新米両親でした。

2010年1月8日金曜日

バンクーバー(帰路)

朝5時にモーニングコールで起こしてもらってシャワーを浴び,荷造りしてタクシーに飛び乗り、6時には空港に着きました。先週の例の事件のおかげでアメリカへ入国する便のセキュリティーチェックが厳しくなっています。3時間近く前に空港に着いてもちょうどいいくらいでした。

チェックインして荷物を預けて、と思ったら
「そのバックパックも預けるのよね?」
と係員さん。
「いいや、持って入るよ。」
「ごめんねぇ、バックパックはあかん事になってるの」
「え、3日前はだいじょうぶやったで。」
「でも先月からルールがかわってるのよ。」
「だってここに来た時はこれ持って,,,,」
「あ、アメリカに入る時の方が厳しいの。」

慌てて荷物の振り分けし直し。慌ててやってしまうと入国の際に必要な書類を忘れると困るので慎重に,慎重に。ジャケットのポケットに携帯電話、カメラ、パスポート、チケット押し込み、I-20等の書類はラップトップのケースに挟み込み、不自然にふくれたジャケットと手にはラップトップだけというへんてこりんないでたちになってしまいました。

ところで、バンクーバーってカナダ側に入国審査があるんですね。アメリカ便だけ入り口が別で、なんでやろ?と思ってたらあの独特の雰囲気のエリアが。だから搭乗前にスタンプ押されて、ダラスについたら何にもなしです。乗り継ぎがあんまり長くなかったので心配してたんで、これは助かります。去年のモントリオールの時は車やったんで知りませんでしたが,カナダってどこもそうなんですか?

で、ダラスに着くとシカゴ行きの便が遅れてたり、キャンセルされてたり。雪の影響がしっかりでています。相方に電話すると
「今日中に帰ってくるのはあきらめてる。」
と。これはいけません。シャンペーンはそんな雪なのかとカウンターへ。
「すいません、シカゴの便の後シャンペーンへ乗り継ぎをするんですが、ちゃんと飛行機飛んでますか?」
「ごめんなさい、ここではわかりません。」
「じゃぁ、シカゴ経由じゃなくてシャンペーンへの直接便ってあるとおもうんですけど、、、。」
「はいあります。えぇっと、、、、席空いてますけど替えますか?」
「あ、お願いします。」

やりぃ変更できた。これで帰れる確率がたかくなった!
搭乗口の変更等はありましたが、機材もちゃんと到着したようやし大丈夫、って家に電話した後10分もしないうちに「1時間遅れ」。しょうがないですね。もういっぺん家に電話し直しました。

そしてダラスからのフライト。出発地は晴れ。到着地は雪。夜間、雪の上を飛んでいると、街や集落の上だけ雲が「ぼやっ」と明るくなっていてきれいな事を知り、そして雪雲の上には見た事の無い程の星が見えてる事にちょっと感動して、家族の待つシャンペーンへ。真っ白な滑走路に着陸し、空港ロビーに到着すると「AA4123便、欠航」のサイン。便の変更をしなければやっぱりシカゴで足止めになってました。

新しい車の運転にもまだ慣れ無い相方に夜の降雪中に運転させたくなく、そして脩登を深夜10時に起こしてマイナス15℃の世界に連れ出したくないので、空港までのお迎えは友人に頼みました。いやぁ、ほんまにたのんどってよかったぁ。ほんとにこの冬一番の雪でした。そしてようやく家で留守番してくれてた相方と脩登のもとに無事到着し、バンクーバーへのビザの旅は終わったのでした。

翌日の朝、窓からの景色はこんな感じ。


水曜日の夜から丸一日以上降り続いたそうです。

そして午後には、前日に届かなかった荷物を空港までとりにいったんですが、その道中はこんな感じ。のりには無理です。




2010年1月6日水曜日

バンクーバー(観光)

バンクーバーも二日目。明日の早朝には出発です。

カナダとアメリカは陸続き。どちらも英語圏ですし、外から見てるとアメリカ人もカナダ人も同じに見えますよね。でもアメリカに住みカナダを訪れてみるといろんな違いが分かります。一年半前にはオタワ、モントリオール、そして今回はバンクーバーとカナダの3都市をみてみて感じた事を徒然と、、、、。

カナダ人はおしゃれ
というよりもアメリカ人は服装には無頓着ですね。あ、注意していただきたいのは僕の住むシャンペーンは田舎だって事。アメリカ標準よりもかなり下の街です。女性であっても大学のロゴの入ったパーカーとジーンズにスニーカーで大丈夫な街です。そんな街と比べてもどうかなぁ、とも思いますが、アメリカ国内の街を訪れた経験と比べてもカナダのこの3都市の人々はおしゃれやなぁと思います。何が違うって男の人の服装が違います。コートが違う。ズボンのシルエットが違う。アメリカから来るのにちょっと気ぃ抜いてるとはずかしいことになりそうです。モントリオールでもそうでしたが、街の雰囲気だけて楽しめるのが良かった。

アメ車はどこ?
アメ車はピックアップトラック、商売用のバン、パトカー以外ではほとんど見ません。トヨタ、ホンダ、フォルクスワーゲンばっかりです。バンクーバーではタクシーもほとんどプリウスでした。陸続きの国より海の向こうの国がカナダの市場を席巻してるようです。ニーズの違いか各メーカーのラインナップも微妙に違うようですね。僕自身4ヶ月前にMAZDA5(日本名プレマシー)を買ったのですが、アメリカでは二列目のカラクリシートがありません。でもカナダでは売ってます。意味不明です。

東と西。
バンクーバーは本当にアジア系の人が多いですね。泊ったホテルの周りにも韓国、日本、中華のレストランが軒を並べていますし、街を歩いてても韓国語、日本語を目、耳にします。ダウンタウンではこんなものまで見つけちゃいました。ここだけで時間つぶせます、ぼく。わかりますか?ブックオフです。


食べ物。
海が近く、日本人も多く、しかも競争しているからか普通にフードコートで食べてもすしのうまいこと、ひとりで思わす「おっ!」って小さい声でゆうてしまいました。あ、これまたご注意を。ぼくはここ3年日本の寿司を食ってません。

そんな土地柄かバンクーバーのダウンタウンにはあちこちに英語学校があります。学校の前でたむろっている子達を観察してみるとやはり韓国人、日本人が多いようです。じつはうちの相方、十○年前にはそんな日本人の一人でした。

今回はビザの申請というナーバスな目的があった事、一人で来てる事、最短滞在であったことであんまり観光気分には浸れませんでした。これからは少なくとも家族一緒で来たいなぁと思いました。その方が「楽しませんと!」と観光リサーチにも気合いが入りますしね。

2010年1月5日火曜日

バンクーバー(ビザ面接)

午前9時前に申請費用振込のために銀行に行くと、既に数人待っていました。みんな同じ用紙を手に。前の人に話しかけると彼はH1Bの申請。去年までミネソタで学生してたんですって。「さむかったやろ?」って聞いたら「そうや、ミネソタが一番寒い州やねんで。」知りませんでした。シャンペーンは今朝マイナス15℃、ミネソタはマイナス25℃。参りました。

9時半の面接予約時間のラインに並んでからセキュリティーチェックを済まして入館すると待合室には既に大勢の人が。受け取った番号は60番。最初の30分に50人くらいいる訳ですか。先が思いやられます。2時間経ってようやく上階の面接室に呼ばれます。だったら最初から面接予約を11時半にしてください。9時半に間に合わせるために開店前の銀行に並んでるんですから。そして面接室にに入るにもセキュリティーチェック。絵に描いたような二度手間。さらに面接室でも20分待ち。ね、だ〜か〜ら〜、予約は12時でもよかったですよねぇ。

面接室で待ってるときにおこったちょっとした出来事。僕の5人くらい前の学生らしき女の子、 面接中に泣き出しました。どうやら申請が通らなかった様子。「なんでぇ?なんでぇ?だって従兄弟も親戚もみんなアメリカにおんのにぃ!!」と面接ブースで泣きじゃくっています。面接官の男性は「ごめん、でも無理なもんは無理。」細かい事は分かりませんが、そんなん目の前で起こったら 動揺します。

ところがそんな心配をよそに僕の面接官は陽気な女性。
「学生ビザね。何の勉強?」
「化学の博士課程です。」
「うわっ、かっこえぇ。学生ビザは初めて?あ、前にもとってるね。」
「はい。でもそれは英語学校のためで化学とは何の関係もありません。
「あ、ホンマや。そう書いたある。あんた英語うまいで。学校よかってんなぁ。ほんで今は?」
「いまはJ1(交換研究者ビザ)です。大学でビジティングスカラーとして働いてます。」
「お、やった。仕事見つけれてよかったなぁ。その前にとってるJ2(J1の配偶者)は?」
「それは相方が先にポスドクの仕事を見つけたので。」
「ほんでJ2やねんな。了解。ほんで奥さんはいまもJ1やねんね。」
「いやぁ、ちゃいます。じつは、、、、

〜うちの状況説明〜

という訳で、今はH1Bです。」
「ぎゃはっは、何それ、あんたらうまいことやってんなぁ。よっしゃ分かった。あなたに学生ビザを発行します。ほんで今のJ1ビザの契約残ってるやろ。それもアクティブなままにしといたるわ。」
「えっ、、、、、、そんなん可能なんですか?」
「うん。でも入国審査のときに新しいビザのページを見せるように気ぃつけや。」
「あ、ありがとうございます。」
「で、アメリカかえるのいつ?」
「あさっての朝です。」
「ほんまは24時間以上かかる事になってるけど、明日の2時には出るようにしといたるわ。」
「助かります!!」

という訳で3分で終了しました。

三分×60人÷面接官4人=45分

なんで3時間も待たんとあかんかったんやろ?????????

バンクーバー(移動)

昨日からバンクーバーに来ています。

ビザの更新をする必要があったのですが、近場でさっさと済まそうとカナダで更新する事にしました。本当はトロントが一番近いのですが、面接の時間がいつもいぱいで、、、、。数週間待ち続けて唯一とれたのがバンクーバー。距離的に一番遠いところになってしまいました。今回は更新の必要の無い相方と二ヶ月半のなおとはおいてきぼりにして僕一人でのお出かけです。こちらに来るまで4年間も週末婚をしていたのに、一人で飛行機に乗って出かけるのはアメリカに来て以来初めてです。

ルートはシャンペーン→シカゴ→ダラス(テキサス)→バンクーバー。
シャンペーンでいきなり機材の整備で一時間遅れます。後の乗り継ぎが多いので焦ります。待ってる間に待合室で隣だったおばさんと話すと、彼女もバンクーバーへ行くらしいのです。ただシアトルから陸路でカナダ入りするらしくシカゴの後はバラバラですがひょっとしたらバンクーバーであったりして。

へぇ〜と思った事。乗り込むときに飛行機のボディーに氷がへばりついてました。「だいじょうぶなんか?」と思ってたら客の登場が終わった後にミニ消防車見たいなもので不凍液をかけてました。

30分の乗り継ぎでダラスの便へ。これは順調。眼下を眺めていると雪で真っ白だったのがセントルイスをすぎたあたりからすっかりなくなってました。つまり寒いのはイリノイまで。テキサスはすっかり南部なんですね。

テキサスで3時間待ちだったのですが、バンクーバーへの便がこれまた1時間以上遅れます。最終目的地だからいいのですが不案内な町に夜中につく不安を覚えます。待ち時間にロビーでカナダドルへ両替。窓口にはアジア系の男性。仕草、ちょっとしたアクセント、そして胸元の名札が彼は日本人だと教えていますが、お互い英語でやり取りする不思議。

4時間のフライトの後バンクーバーに。入国審査もさっくりと終わり、ホテルから教えてもらっていた通りに電車でダウンタウンにゆきそこから徒歩でホテルに向かいます。電車もきれいし、たまにセキュリティーの人が乗ってくるし、大丈夫。降りた後も夜10時近くにも関わらず一人で歩いている女の人もいてるし大丈夫。アメリカのそこそこの街のような事はなさそうで安心。

ホテルにチェックインし、シャンペーンの家族のもとに電話をし、翌日の面接の準備をしておやすみなさい。

2010年1月1日金曜日

ウェブカム

ウェブカムがつながらなかった実家のPCを、帰省した弟がセッティングしてくれたのでようやく法隆寺の両親も脩登の様子を直接見れるようになりました。実はこのブログを始めたのはそういった事情でなかなかこちらの様子を見れない、聞けない両親に少しでも情報を、という事で始めました。今となってはその役目を果たしたのですが、実はいろんな人がこのブログに足を運んでいてくださっている事を知り、今は投稿する事が楽しみになってきました。

なにはともあれ今回の年末年始は両親以外にも、弟、妹と姪、相方の弟くんと久しぶりにお話が出来て、こんな事も「正月やなぁ」と思えたのでした。

おせち2010

今年のおせちはたいそういい出来で、今日のお客さんも喜んでいただけたようでした。おせちを作るのも今年でたぶん5回目。年一回でも繰り返しているとちょっとはうまくなっていくもんですね。今年の伊達巻き、熨斗鶏の出来はよかったぁ。
おせちの定番、昆布巻き、棒鱈、くわい、数の子なんかは材料が手に入らないので作れません。シャンペーンで手に入るもので出来るものでなんとかお正月気分を味わおうとこんな感じに仕上げました。でもおいしい日本酒は無いのでワインで乾杯です。
ごちそうさま、楽しい正月でした。