2011年9月17日土曜日

啓登2ヶ月

シャンペーンは夏が去ってしまったようです。アメリカでは9月第一週のレイバーデイが夏の終わり、と認識されているそうですが、暦通りですね。

啓登が誕生してはや二ヶ月、昨日の検診ではすでに体重が6.4kgもありました。産まれた時は脩登より小さかったのですが、いまじゃすっかり「ちっちゃい関取」です。(昔ロミオの事をこう呼んでましたね)表情も増えてきてますます楽しいですよ。「にぃ」なんてされると嬉しいったらありゃしない。

可愛い盛りはなおとも一緒。最近急に言葉が増え出し、そしてついに「おとうしゃん」と呼んでくれるようになりました。ずっと「おとうさん、おかあさん」で通そうと頑張ってきたのですが、やっぱり「だでぃ、まみぃ」のシンプルさには勝てず(保育所では先生が僕を見て『ほら脩登、ダディーが迎えにきたよ』なんてゆうもんですから)あきらめかけていましたが、先週あたりから「しゃんしゃん」→「おとうしゃん」と変化を遂げました。こんな風に呼ばれるといつもの5割増で「ハァーイ」と元気に返事しております。

残念な事に未だに相方の事は「まみぃ」とはっきり呼んでおります。

ここ2ヶ月の脩登の言語面での成長は眼を見張るものがあります。ちょうど啓登が産まれた頃、つまり義母が出産後のお手伝いに来てくださった頃から見違えて言葉を発するようになりました。今では僕たちの言葉をどんどん「耳コピ」し続けており、もはや気を抜いてしゃべる訳にはいかなくなっています。我々夫婦はむしろ言葉数の少ない方なのですが、お母さんがひたすら脩登に話しかけ続けてくださったおかげ、「おとうしゃん」まで聞けるようになったかと思うと頭が上がりません。

もちろんその間、お母さんは脩登に話しかけていただけではなく、食事、掃除、昼間の育児のサポートと八面六臂の活躍で我々を助けていただきました。もともと色々と忙しい方ですし、 お父さんを東京に一人残し、多くのお友達とも遠く離れ、気分転換をするお店もほとんどないアメリカの田舎で我々にこき使われた事でさぞお疲れになられたでしょうし、ストレスもためられたと思います。それでもかわいい孫の為、また頑張っている娘の為に自分の事を顧みずに献身的にサポートしてくださる様子には本当に頭が下がりますし、本当に本当に感謝しております。相方もそういうお母さんの姿から「母性」なるものが何たるかを感じたようです。

9月になって少し落ち着いて、そして啓登が産まれてからの生活の変化を振り返ってみて、やっぱり義母のサポートが一番ありがたかったなぁ、というブログでした。

2011年9月7日水曜日

アムステルダムはいらいと

アムステルダムからは無事に帰ってきました.到着当初は街行く人々もジャケットを羽織る寒さでしたが、出発前日になってようやくTシャツを見かけるようになりました.

学会の方は、
 自分のポスター発表も無事に終了(実は大学の施設見学と時間がかぶり、半分しかポスターの前には立っていませんでしたが).
 日本人の方とお話.(日本にいてた当時僕自身ははやっていなかった分野なので、いろいろ様子が分かって収穫有り)
 全体的に”みんな同じような事やってんなぁ”という印象でしたが、何が共通理解としてあるのか、どこにニーズがあるのか、何が有機化学者に出来るのか、等々勉強になりました.

アムステルダム見物は、
 申し込んでいた「自転車に乗ってハイネケンの工場見学ツアー」は、集合時間に3分遅れていくとだ〜れもいませんでした.ここはオランダ、アメリカとは違う.
 その時点で唯一参加可能だった「風車とチーズの街見学ツアー」に参加してきました.結局の所「昼間からビール飲めるなんて最高やん!」程度ののりだったので、オランダらしい所がみれて良かったですよ.
 結局「一度は行こう」と言っていた日本食レストランはラボの連れのニーズと合わず断念.一カ所なんかはメニューを覗いた所、全くもって「ザ-居酒屋」だったのでむっちゃ行きたかったんやけども,,,.
 最終日、学会がお開きになった後はアヤックスアムステルダムのスタジアム見学に.ヨーロッパ最高レベルのスタジアムは本当に奇麗でしたよ.サッカー好きの連れは大はしゃぎ、一緒に行った韓国人のおじさんは全く興味ない様子で、なんでお前来たんや!?状態.

そして何より何より、
アムステルダムから帰ってきた日、僕の到着を迎えてくれた脩登の満面の笑みが今回の旅のクライマックスでした.